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コラム

四天王寺で聖徳太子の意志を感じる旅。居心地よく懐かしい、エキゾチックで寛容な境内を堪能

地上300m超高層ビル「あべのハルカス」と総面積約28万m²の「天王寺公園」を比べて分かったこと

「四天王寺に行くんですか?むっちゃいいところですよ。」

いつも上機嫌で、旅好きな知人が言います。

「へ~、そうなんですね。どんなふうに?」

「あのね~。むっちゃ広いんですけど、なんかいろいろな文化が混じってるような感じで、エキゾチックで...寛容な感じ、っていうんかな~」

「へ~(お寺がエキゾチック...?寛容...?)」

頭の中に「?」が浮かびます。

日本全国を旅行して、いろいろな場所を知っている彼女は、そう言うと四天王寺のホームページをググります。液晶ディスプレイに現れるのは、四天王寺のサイト。

それが始まりの合図でした。

数日後、ぼくは「?」を抱えたまま四天王寺を訪れます。



1. 四天王寺の第一印象。居心地がよく、懐かしい

四天王寺の第一印象。居心地がよく、懐かしい

「とても居心地がいい。そして懐かしい。でもどうしてだろう?」

「このお寺を作った聖徳太子(厩戸皇子:うまやどのおうじ)とは実際、どんな人物だったんだろう?」

この2つが、初めて四天王寺を歩きながら感じたことでした。

四天王寺の第一印象。居心地がよく、懐かしい

円形の寺院(南鍾堂:八角円堂)

四天王寺の第一印象。居心地がよく、懐かしい

四角く囲われた境内。そこから突き出ている五重塔。
四つの方向から出入りできる敷地。

そして、建物と建物の間の絶妙な距離。

一見、無駄に広いような何もない砂地が、静かに何かを訴えています。

四天王寺式伽藍(がらん)
四天王寺式伽藍(がらん)

4つのお堂が南北に直線上に並び、それらを回廊が囲む様式。
南から順番に「中門」「五重宝塔」「金堂」「講堂」が建てられています。

エキゾチックで寛容な感じ。

旅好きな知人は、そう形容しました。

確かにそのとおりです。
訪問者はほとんどが外国人。そして外国人がいることが自然な感じ。
まるで日本人のほうがマイノリティーみたい。

四天王寺は、日本における本格的な仏教寺院。最古の官寺、特定宗派に偏しない八宗兼学の寺です。仏教の諸宗派にこだわらない全仏教的な立場をとり、1946年に「和宗」の総本山として独立しています。

基本情報
拝観時間
4~9月 8:30-16:30
10~3月 8:30-16:00

設備
休憩所:250人
駐車場:35台

アクセス
・地下鉄谷町線四天王寺前 夕陽丘駅 下車:南へ徒歩5分
・JR・地下鉄天王寺駅、近鉄あべの橋駅 下車:北へ徒歩15分
・名神高速、豊中ICより阪神高速に入り、環状線夕陽ケ丘出口を経る(約30分)

四天王寺公式ホームページ:和宗総本山四天王寺

2. 五重宝塔。螺旋階段をグルグル登る

五重宝塔。螺旋階段をグルグル登る
五重宝塔

8度目の再建を重ねた塔は、鉄骨鉄筋コンクリート。内部の撮影は禁止ですが、中に入ることができます。螺旋状の階段を5階までグルグル登っていきます。2~3階の壁面にたくさんの位牌が並んでいます。

息切れして到着した4階にはなにもなく、窓から外を見ることができます。

3. 西側の石ノ鳥居。極楽浄土へつながる道

西側の石ノ鳥居。極楽浄土へつながる道

西側の門である石ノ鳥居に到着。

もともと木造だったものを1294年に、忍性上人(1217-1303)が石造りにしたのが現在の鳥居。昭和20年3月14日の空襲を免れます。

そういえば、旅好きな知人が「西側の入口で秋分の日に行事がある」と言っていました。

「あと、日想観っていう行事が秋分の日にあるんです。」
「夕焼けの西側に向かってお坊さんと参拝者が並んでお参りするんですけど、それがすごくいいですよ」

上町台地の西側のすぐそこが海だったころ。
鳥居の西側は、極楽浄土へつながる道だったのです。

秋季彼岸会:9月20日~26日
日想観:9月23日 午後5時20分~

4. 昭和の戦火を免れた六時堂

昭和の戦火を免れた六時堂

元和9年(1623年)建立され、大阪大空襲の戦火を免れます。
六時堂の手前には「亀の池」が。もちろん亀がいっぱいいます。

昭和の戦火を免れた六時堂

そして、通路の真ん中に大きく置かれた舞台。「日本三舞台」の一つです。
毎年4月22日、ここで聖霊会(聖徳太子の命日法要)の日に「聖霊会舞楽大法要」が行われます。

六時堂のように、昭和20年の戦火を免れた建物は複数あります。

・西側の正門石ノ鳥居
・本坊通用門
・五智光院
・元三大師堂
・湯屋方丈

それらは、元和(1615-1624)の時期に再建されたものです。

5. 7度の焼失と7度の再建

7度の焼失と7度の再建

四天王寺は7回も焼失しています。
そしてその度に、建て替えられてきました。
1400年前から続く、人々の思いを感じずにはいられません。

四天王寺 焼失の歴史

①承和2年(836年)落雷で焼失
②天徳4年(960年)火災で主要伽藍が失われる
③天正4年(1576年)石山本願寺攻めの兵火で焼失。豊臣秀吉が再建
④慶長19年(1614年)大坂冬の陣で焼失。江戸幕府の援助で再建
⑤享和元年(1801年)落雷で焼失。文化9年(1812年)に再建
⑥昭和9年(1934年)室戸台風で6代目の五重塔が倒壊。中門側に倒れたため中門もそのあおりで倒壊、金堂も大被害を受けた
⑦昭和20年(1945年)第1回大阪大空襲で国宝の東大門他伽藍とともに焼失
⑧昭和32年(1957年)から再建開始。昭和38年(1963年)に完成

6. 宝物館。500点ほどの国宝・重要文化財

創建当時の品々などを含め、500点ほどの国宝・重要文化財を所蔵しています。
楽しみにしていたのですが、工事中で入れませんでした。

この時点で午後4時を過ぎています。閉門は4時30分。
四天王寺に着いたのが、午後3時ちょうど。けっこう急いで周りましたが、まだまだ見たいところがあります。

きちんと見たい方は、2~3時間は確保したほうがいいかもしれません。

先を急ぎます。

※「元三大師堂」「大黒堂」「五智光院」「極楽浄土の庭」「宝物館」など、今回参拝できなかったところは次回の楽しみにとっておきます。にしても、1時間30分では全然回りきれませんでした...。

7. 聖徳太子の御霊をまつる太子殿。線香を焚く

聖徳太子の御霊をまつる太子殿。線香を焚く

午後4時過ぎ。
閉門が迫る境内で、太子殿(聖霊院)に入りました。

聖霊院前殿と聖霊院奥殿があります。そこは聖徳太子が祀られる場所。聖霊院前殿には聖徳太子十六歳考養像が、本尊として聖徳太子四十九歳摂政像が安置されています。

雰囲気がちょっと違うように感じます。

ぼくは靴を脱ぎ、聖霊院前殿の中へ。
落ち着く空間。

片付けをしている女性に言います。

「お香を焚かせてもらってもいいですか?」

するとその女性は言います。

「ええ、いいですよ。でも4時30分には閉めるから、線香がついている時間は10分ちょっとですけど、大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫です」

ぼくは賽銭箱に200円を入れ、長いお香を手に取り、ライターで火をつけます。

そっと煙が立ちます。
香炉に線香をさします。

目を閉じ、手を合わせます。

聖徳太子の御霊をまつる太子殿。線香を焚く

聖霊院前殿の中は冷房が効いて、とても静か。

入り口から強い日差しが入り込みます。

8. 争いの先の「和」というコンセプト

争いの先の「和」というコンセプト

すべての仏教の宗派を超える「和宗」として知られる四天王寺。
聖徳太子は、推古天皇元年(593年)この寺院を建てました。

四天王寺に足を運んで思ったことは

「今の私たちにもつながっている日本人の心性を、1400年前にすでに目に見える形にした人物が聖徳太子だったのでは?」

「日本仏教の祖、といわれる聖徳太子は、じつは絶妙なバランスの中で平和を創る人だったのではないか?」

ということ。

バランスとは「リーダー3人と、反対勢力と、民衆への配慮」のことです。
リーダー3人とは、自分と、母親の推古天皇(すいこてんのう)と、最大権力者である叔父の蘇我馬子(そがのうまこ)。
反対勢力とは、物部守屋(もののべのもりや)が率いたグループのこと。

きっと、仏教を擁護する叔父に配慮しながら、反対勢力と民衆の気持ちを推し量り、自分が持つ政治力の範囲を正確に把握していたのでしょう。

そうでなければ、仏教寺院の中にわざわざ牛を祀る牛王尊(ごおうそん)を設置しないはず。牛は「スサノオ」を表す神道の神様。大陸文化の仏教とわざわざ同居させる道理はありません。

争いの先の「和」というコンセプト

そして、西側出入り口には石の「鳥居」があります。

四天王寺は日本初の官寺であり、原型であるとよくいわれます。
そこに、神道と仏教を建築物としてしっかり同居させている。

「日本」という国が形をなす前夜、聖徳太子は絶妙なバランスで民衆と権力者の間にある「信仰」に形を与えた。

大陸からの支配層と国内の支配層、さらに民衆の間にきちんと身をおいたこと。
軋轢と苦悩、その先の「和」というコンセプトの実現にぼくは静かに感動しました。

争いの先の「和」というコンセプト

9. 聖徳太子が教えを説いた愛染堂勝鬘院

聖徳太子が教えを説いた愛染堂勝鬘院

四天王寺を後にし、谷町筋を北に進みます。西側の住宅街に入ると突然現れる愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)。愛染堂勝鬘院に到着したのは午後4時45分。閉門まであと15分です。

落ち着く空間。
そして、ここに聖徳太子が立ち、仏教の教えを人々に語る姿を想像します。

愛染堂勝鬘院。それは、聖徳太子が建てた4つの施設「四箇院」(しかいん)のうちの一つ「施薬院」でした。

四箇院の4つの施設

敬田院(きょうでんいん):寺院
施薬院(やくいん):庶民救済施設・薬園(薬用植物の畑)
療病院(りょうびょういん):薬局・病院
悲田院(ひでんいん):病者や身寄りのない老人、孤児を救うための施設

多宝塔
多宝塔
多宝塔

こちらは補修工事中。
誰もいない居心地のいいベンチに座ります。

593年(推古天皇元年)聖徳太子によって創建された「多宝塔」。織田信長によって焼き払われますが、豊臣秀吉が再建。

多宝塔

危うく、閉門の5時をすぎるところでした。

お堂のおじいさんとおばあさんが門を閉じようとする直前に、ぼくはベンチを立ち、挨拶をして門を出ます。

「すみません。裏のベンチで休んでました」

「ああ、おつかれさまです。またどうぞ」

おじいさんは気さくに会釈してくれました。

愛染堂勝鬘院 公式ホームページ

10. 古代インド神話からあべのハルカスへ

古代インド神話からあべのハルカスへ

天王寺という地名は、四天王寺の略称です。
四天王とは、古代インド神話に登場するスメール山の四方で仏法僧を守護する四神のこと。

物部守屋との争いを終えた蘇我馬子、推古天皇、聖徳太子は、ここを国の中心と考えました。

聖徳太子は、争いのあとの国が安定するイメージを想像できていたのでしょう。そしてここ四天王寺に、大陸から学んだ国家形成の仕組みを打ち出す土台を作りました。

居心地がよく、懐かしく、エキゾチックで寛容。
こんな奇跡的な場所が、あべのハルカスのすぐ近くに現存していること。

時間を超えて、心打たれます。



出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』四天王寺
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』勝鬘院

  

こちらのコラムは「#赤を見つけるたび」特集で紹介されています。

島津

島津男性 | 30代

最近、カメラを購入し、撮影をはじめました。
休みの日は、子どもたちと一緒に近くの公園や喫茶店、イベントに参加。撮影の腕を磨く日々です。
コーヒーが好きな30代男性。京都在住。

最終更新日:2020.02.13

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