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コラム

大阪歴史博物館で難波宮跡を探訪!極東の古代都市に思いを馳せる旅

大阪歴史博物館で難波宮跡を探訪!極東の古代都市に思いを馳せる旅

博物館の床の下には遺跡が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。

と学芸員さんが言ったかどうか。

でも、

「大阪歴史博物館の床の下には難波宮跡(なにわのみやあと)が保管されているのです。」

男性学芸員さんは確かにそう言うと、50代のご夫婦、50代の女性とぼくを、博物館の裏口に導いてくれました

9月終わりの午後3時、大阪市中央区にある大阪歴史博物館。

今回は、ずっと行きたいと思っていた大阪の中心に眠る古代遺跡「難波宮遺跡(なにわのみやいせき)」を巡る旅をお送りします。

そこには、かつて極東で花を咲かせた古代都市の過去と未来がありました。



1. 博物館の床の下には遺跡が埋まっている!難波宮遺跡探訪

博物館の床の下には遺跡が埋まっている!難波宮遺跡探訪

大阪歴史博物館の入口を進むと、ボランティアの係の方が声をかけてくれたのです。

「今あそこで無料の見学ツアーをやってますので、よかったら聞いていってください」と。

ぼくたちは学芸員さんに連れられて、小さな階段を降ります。

二つの扉を通過すると、ガラス張りの空間が。

博物館の床の下には遺跡が埋まっている!難波宮遺跡探訪
博物館の床の下には遺跡が埋まっている!難波宮遺跡探訪

「大阪歴史博物館とNHK大阪放送局を建てる前に、10年発掘作業が行われました。」

穏やかな口調で、学芸員さんが語りかけます。

「1階の床に丸いマークがありましたね。それがそのまま、この遺跡の丸いくぼみと一致します。」

「難波宮は、前期と後期に分けられます。そして残念ながら、前期は火災で焼失したため詳細は分からない部分が多い。」

天井の低い館内は冷房が効いていて、とても静か。
探検している気分です。

「そして3時のツアーだけは特別に、あの博物館の入り口にあった高床式倉庫にご案内します!」

「あら、そうなの!いいわねえ」

と隣の女性。

ぼくたちは、地下1階から上がり、博物館前に到着。

博物館の床の下には遺跡が埋まっている!難波宮遺跡探訪

「博物館の外側に並ぶこの丸い椅子のようなもの、じつはこれ、前期難波宮の柱の跡を示すものではありません。」

「それよりも200年ほど前、古墳時代に作られた高床式倉庫の柱の跡を再現しているのです。」

そこには今、中国人の母娘が沢山の荷物を持って座っています。

「この高床式倉庫群は法円坂遺跡(ほうえんざかいせき)と呼ばれます。」

「この倉庫は、2つの根拠をもとに再現しました。ひとつは柱の穴の深さから。もうひとつは発見された扉の大きさから。」

学芸員さんは倉庫の扉を開け、中へ案内します。

博物館の床の下には遺跡が埋まっている!難波宮遺跡探訪

ツアー参加者の気持ちは静かに膨らみます。

「実際に入ってみると、どうでしょう。外から見るより広く感じるのではないでしょうか?」

博物館の床の下には遺跡が埋まっている!難波宮遺跡探訪

確かに。
思ったより広い。
天井が高い。

そして、天井の勾配が鋭い。

「かやぶき屋根を長い間維持する方法は2つあります。ひとつは屋根のわらに厚みをつけること。でもこれには限界があります。」

「そしてもうひとつの方法が、屋根の角度を高くすること。この方法であれば、雨はすぐに地面に落ち、屋根は早く乾きます。」

「また、東西に直線に建てられていることから、方角についての知識があったことが分かります。」

ぼくは質問します。

「誰が支配者だったかは、分かっているんですか?」

学芸員さんが答えます。

「残念ながら分かっていません。ですが16もの倉庫を建てる力があったということは、大きな勢力のリーダーであったことは間違いないだろうと言われています。」

50代の男性が質問します。

「仁徳天皇陵古墳は、時代的にいうと法円坂遺跡よりも後ですか?前ですか?」

「時代的にはこの法円坂遺跡よりも後になります。」

いつの間にか、外国人旅行者も倉庫の中にいます。

「20分をだいぶ過ぎてしまいました。本日はどうもありがとうございました。」

「ここにはよく来るんだけど、初めて中に入れたから嬉しかったわ~!」

と隣の女性が学芸員さんに話しかけています。

博物館の床の下には遺跡が埋まっている!難波宮遺跡探訪

直線に並ぶ足元の丸いマーク。

それを見ていると、古墳時代の豪族が歩き、すぐそばの海岸に大陸の船が停泊しているように思えるのでした。

難波宮遺跡探訪ツアー
出発時間:11:00/12:00/13:00/14:00/15:00/16:00
(所要時間は15:00のみ40分、他は20分)
受付時間:出発時間の30分前から
定員:40名
参加費:無料
公式ホームページ:難波宮遺跡探訪(大阪歴史博物館)

2. 極東の古代都市。大阪歴史博物館

極東の古代都市。大阪歴史博物館

「あと1時間で全部見れますか?」

午後4時、ぼくは大阪歴史博物館の入場口で尋ねます。

「10階から6階までの常設展は、ちょうど1時間くらいでご覧いただけますよ。」

「あちらのエレベーターにお乗りになって、10階から9階8階へと見ていってください。」

親切な受付の女性はそう言うと、エレベーターを示します。
ぼくはエレベーターで10階へ。

博物館の常設展は、ちょうど1時間で見れました。

そしてとても面白かった。

古代都市の誕生を目の当たりにしているような気分です。

極東の古代都市。大阪歴史博物館

等身大の人形。
円柱の柱。鮮やかな朱色。飛鳥時代の宮廷風景。

極東の古代都市。大阪歴史博物館
極東の古代都市。大阪歴史博物館

閉館1時間前の大阪歴史博物館に、来館者はまばらです。中国人カップル。台湾人カップル。日本人50代夫婦。中国の親子。走り回る男の子たち。

極東の古代都市。大阪歴史博物館
極東の古代都市。大阪歴史博物館

紙芝居調に作られた街の歴史。落語家口調で語る町人。蘇る江戸時代の大阪。

極東の古代都市。大阪歴史博物館

発展する大阪。
細かく再現された街と人々、風俗。

極東の古代都市。大阪歴史博物館
極東の古代都市。大阪歴史博物館
極東の古代都市。大阪歴史博物館
極東の古代都市。大阪歴史博物館
極東の古代都市。大阪歴史博物館
極東の古代都市。大阪歴史博物館

明治維新と大大阪時代(だいおおさかじだい)。カラフルな文化が現れます。そして世界戦争の影。

閉館まで1時間弱しかなかったことが、逆によかったかもしれません。1400年以上前の歴史から現在までを、文字ではなくビジュアルで経験できたから。

極東の古代都市。大阪歴史博物館

今年の3月から9月にかけて、大阪市中央区の北浜の橋近代建築を見て、堺市の仁徳天皇陵の古墳群を自転車で巡り、奈良市では平城宮跡東大寺を訪れました。
大津市に行ったときは比叡山延暦寺近江大津宮(おうみおおつのみや)の坂を登り、つい最近では、大阪市の四天王寺住吉大社に足を運びました。

近畿の歴史的な都市を歩いたあとに見る、大阪の歴史。
まるでパズルのピースがつながり、ひとつの絵を描くようでした。

公式ホームページ:大阪歴史博物館

3. 過去と未来が交錯する平原。難波宮跡公園

過去と未来が交錯する平原。難波宮跡公園

「せーのっ!かっこいい技をみせてください!」

大きな難波宮跡(なにわのみやあと)に座る2人の幼稚園児(女の子)が言います。

その先には、スケートボードをする2人の男子中学生。

中学生が2人の女の子に何を言ったかは分かりません。でも彼らは、女の子たちが見える位置でスケートの難しい技を披露しています。

彼女たちは「すごい~!!!」と言い、拍手。

過去と未来が交錯する平原。難波宮跡公園

そして、難波宮跡の端の方には男子高校生がひとりで座っています。両手にはスマホ。

振り返ると、ベビーカーを引いた複数の母子たちが西へ向かって歩いています。遺跡跡に座りキャッチボールをする祖父と孫。草刈りを終えた造園業者は姿を消し、中学生は歩いて家路へ。

過去と未来が交錯する平原。難波宮跡公園

彼らの背景には、森が見え、さらに奥には大阪城とビルが建っています。
上空には、雲を残す飛行機。

それが難波宮跡公園にある風景です。

1000年後、この街はどうなっているだろう。

大きな空想をしてしまう。
そんな場所です。

難波宮跡公園
アクセス:地下鉄谷町線「谷町四丁目」駅すぐ、JR大阪環状線「森ノ宮」駅より徒歩5分
料金:無料

4. 聖徳太子が祈った場所。玉造稲荷神社

聖徳太子が祈った場所。玉造稲荷神社

四天王寺に行って以来、気になっていた神社に到着しました。難波宮から歩いて10分ほど。それほど遠くありません。

そこは物部守屋(もののべのもりや)と蘇我馬子(そがのうまこ)が戦ったときに、聖徳太子が祈りを捧げた場所。

聖徳太子が祈った場所。玉造稲荷神社
聖徳太子が祈った場所。玉造稲荷神社

訪れた時刻が17時を過ぎていたため、閉門しているかもと思ったけど、開いていました。
階段を上がると鳥居が現れます。静かな境内。誰もいません。

聖徳太子が祈った場所。玉造稲荷神社

反対側には出入りできる坂道があります。

四天王寺からこの玉造稲荷神社までの土地のなかで、物部守屋と蘇我馬子は戦いを行います。そして、聖徳太子はこの神社で四天王に祈りを捧げました。

しだいに、景色が深みを増していきます。

公式ホームページ:玉造稲荷神社

5. おもちゃが山積み。まっちゃまち筋商店街

おもちゃが山積み。まっちゃまち筋商店街

玉造稲荷神社から、まっちゃまち筋商店街まで歩きました。
なかなか遠かった。

18時過ぎに商店街に到着。
ほとんどの店は閉まっていました。

おもちゃが山積み。まっちゃまち筋商店街

そこは、人形の店とおもちゃ屋さんが多い商店街。

まだ営業しているおもちゃ屋さんに入ってみます。

おもちゃが山積み。まっちゃまち筋商店街

ご夫婦が商品整理をしていました。

「まだお店やってますか?」

とぼく。

「はい。どうぞご覧ください。」

と奥さん。

束や袋に入った大量のおもちゃ(数十円~1000円単位)が所狭しと山積みになっています。大人でもテンションが上がります。

ぼくは娘と息子のために、50円のブーブークッションと50円の水風船を選び、レジへ。

「どうしてこの辺りはおもちゃ屋さんが多いんですか?」

ぼくは店主さんに聞いてみます。

「この辺りは昔から人形屋が多くて、閑散期になるとしだいにおもちゃを売るようになったんです。」

「11月になると、羽子板を店の前に出し始めて、また面白い雰囲気になりますよ。」

「へ~。それは楽しそうですね。」

「ええ。奥には花火もたくさん置いてるから。夏にもまた賑やかになります。」

「楽しいですね。」

「ぜひまたいらしてくださいね。」

「ありがとうございます!また来ます。」

9月の18時の松屋町。
おもちゃ屋さんからは眩しいほどの光が溢れ、歩道を照らしていました。


公式ホームページ:大阪まっちゃまち筋商店街

6. 東の果ての海洋都市

東の果ての海洋都市

難波宮跡公園に着いたとき、奈良の平城宮跡を思いだしました。

ふたつの遺跡の大きな違いは、

①平城宮跡の方が面積が広い
②難波宮跡は現在も都市の中心部である

という点です。

東の果ての海洋都市

法円坂遺跡と難波宮から、四天王寺、住吉大社、仁徳天皇陵に続く古代近畿の世界。大陸との交易がさかんに行われ、農耕・宗教・国家の文化がたどり着く、東の果ての海洋都市。

そしてこの街が、古代から人間に愛され続けてきたことに思いを馳せるのでした。

島津

島津男性 | 30代

最近、カメラを購入し、撮影をはじめました。
休みの日は、子どもたちと一緒に近くの公園や喫茶店、イベントに参加。撮影の腕を磨く日々です。
コーヒーが好きな30代男性。京都在住。

最終更新日:2020.02.13

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